Friday, 29/3/2024 | 8:25 UTC+9

【スポーツ】ボクシング 日本人世界王者の引退後

派手なわりに、それほど稼ぐことができないのがボクシングの世界。日本の男子ボクシングだけでも、70人以上の世界王者を排出しているが、現役引退後については、あまり知られていない。そんな、90年代以降に誕生したボクシング世界王者に絞って、その後をいくつか紹介していこうと思う。

1.井岡弘樹

生涯プロ戦績:42戦33勝(17KO)8敗1分

ミニマム級とライトフライ級の2階級を制覇した。井岡一翔の叔父としても有名。Sフライ級の世界王者 飯田覚士に敗北後、ノンタイトル戦で後の世界王者の徳山昌守と対戦してTKO負け。引退後は、タレントとして活動。2002年に井岡ジムを設立後、井岡一翔と宮崎亮の二人の世界王者を育てる。ちなみに、現在は両選手とも無冠。

 

 

2.大橋秀行

生涯プロ戦績:24戦19勝(12KO)5敗

ミニマム級王者。2度目の防衛戦で、後の名王者メキシコのリカルド・ロペスに敗北し王座陥落。再び、王座に返り咲くも、タイの指名挑戦者チャナ・ポーパオインに敗れて引退。引退後は、大橋ボクシングジムを設立。東ボクシング協会の会長と日本ボクシングコミッション(JBC)の理事に就任している。ジムの会長としては、川嶋勝重八重樫東井上尚弥ら3人の世界王者を出している。

 

3.レパード玉熊

生涯プロ戦績:33戦27勝(13KO)5敗1分

フライ級王者で本名は玉熊幸人。2度めの防衛戦後、網膜剥離で引退。国際ジムで選手を指導育成後、レパード玉熊ジムを開設。また、袴田事件の無罪獲得のために活動した一人でもある。

 

 

4.鬼塚勝也

生涯プロ戦績:25戦24勝(17KO)1敗

スーパーフライ級王者。タイトル獲得後6度目の防衛戦で韓国の李炯哲に9RTKO負け。網膜剥離で引退、手術・治療専念するも完治はせず、視力障害者に認定され障害者手帳を所有。福岡にジムを開設する。現在は、TBSのボクシング中継などで解説を務めることがある。

 

5.薬師寺保栄

生涯プロ戦績:28戦24勝(17KO)3敗1分

WBCバンタム級の世界王者。当時の暫定王者の辰吉丈一郎と王座統一戦を行い、下馬評を覆し勝ったことでも有名。5度目の防衛戦で判定で敗れ、王座陥落。生涯戦績の中でもKO負けとダウンも一度も経験せずに引退した実は珍しい世界王者。引退後は、名古屋で薬師寺ボクシングジムを経営する一方で、タレントや俳優活動を行い、薬師寺モーターズという深夜の冠番組を持ち、名古屋の人気者として活躍中。

 

 

6.山口圭司

生涯プロ戦績:38戦29勝(11KO)8敗1分

WBAライフフライ級の世界王者。ライトフライ級では長身のため、現役時代は減量に苦しんだ。8敗のうち5つがKO負けという事もあり、一部では被KOアーティストと揶揄された事もある。2階級制に挑むも、ホセ・ボニージャや曺仁柱らに阻まれる。仕切り直しで日本王座や東洋タイトルに挑戦するも、これらも敗戦。ヨネクラジムの元日本王者でファイタータイプのボクサー瀬川設男に3RKO負けが決め手となり引退。引退後はジムの先輩の井岡に誘われ、井岡ジムでトレーナーとして働いている。

 

7.戸髙秀樹

生涯プロ戦績:26戦21勝(10KO)4敗1分

WBA世界スーパーフライ級王者。通称 雑草王者。ヘスス・ロハスに判定勝利し王座獲得後、アマチュアのエリート 名護明彦を相手に初防衛戦を行い、大差の判定勝ち。3度目の防衛戦でレオ・ガメスに顎の骨を折られて倒れこむようにKO負け。引退かと思われたが、階級をバンタム級に上げ、再び、レオ・ガメスと暫定王座決定戦で対戦し、見事判定勝利。日本人では数少ない世界戦リベンジマッチの勝利者。王座統一戦ではすでに完全燃焼していたのか、精細を欠いて、大差の判定負け。引退後は、自由が丘にボクシングジムを開設。玉熊氏と同様に袴田事件の無罪を訴える活動を行った。

 

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